「憧れる」をやめて「リスペクト」へ
14年振りのWBC優勝は、日本が大いに盛り上がる、2023年が日本が加速する象徴のように思えた。
試合前の大谷選手のチーム全体にかけた言葉がTVで流れていた。
『(名だたる)メジャーリーグ選手たちを相手にするけれど、今日だけは<憧れる>のをやめましょう。』
飛躍しすぎるかもしれないが、戦後、米国に憧れ、西洋ドリームをフォーマットに経済成長してきた日本。
経済成長や資本主義自体が疑問視される昨今、以前から分かりきっていた一つの答えを多くのメディアを通して
そして、バイアスのかかりにくいスポーツを通して発信されたことは、多くの人にナチュラルに響いたのではないだろうか。
<憧れる>は、自分との比較、ある種の境界線から生まれる言葉でもある。
<あの人は天才だから私とは違う。>という線引きだ。
例えば、
憧れBOXであったTV が虚構世界であることを理解し、いち早く「自分もそのBOXと同等の人物である」ことを表現し出したのがYou Tuberたちであり、TV側からリアルへ出てきたのが「会えるアイドル_AKB48」だった。
どんどん、SNSによって憧れBOXとの境界線が溶けていき、誰しもが自分をコンテンツ化できると分かり出した。
そして、自分がどのようなコンテンツ(価値)があるのだろう?と考えるきっかけにもなり、それが見つからないと不安になり出す。
各々備わっている才能は、本人があまりにも当たり前にやっていることなので非常に気付きにくい。
さらにややこしくさせているのが、他者に<憧れる価値観>のまま自分を見てしまうと他者が持っているものが自分にも必要だという考えになるので、いつまで経っても辿り着けないのだ。
なので、
まずは、他者軸を全て剥ぎ取ることが第1ステップなのだ。
その現象が「デジタルデトックス」「瞑想」「サウナ」「田舎暮らし」という流行を生んでいるのだと思う。
(私の場合は、瞑想では足らずに家なきこ生活までに至ったが・・・その記録はコチラ)
他者軸を剥いだ後に、自然と残った自分の価値が顕在化する。
11年サラリーマンだった私の場合は、画家の道であり、作品「ANUS FLOWer」コンセプトがこのブログ内容自体なので、熱く書いてしまう。
どちらが先でも同じなのだが、
自分の価値をリスペクトすると、他者を対等に「リスペクト」できる。
結局は、目の前で繰り広げられる現象は全て鏡なので、相手も自分であるし、無論、話題のAGIも自分である。
自分の好みを熟知するスマホが分身のように。
真の多様化の世界は、「憧れる」がなくなり互いに「リスペクト」し合う世界だろうし、
これまた飛躍するが、
相手が実在する人物なのか、AGIなのか、デジタル作品なのかリアル作品なのか、といったことも気にならなくなるだろうと思う。それくらい自分の価値に確信を持っているので、直感通りに素直に動きやすい世界なんではないだろうか。
AGIをリスペクトし、自分を助けてくれる相棒のように。
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<追記> 客体から主体になる価値
書き終えて思うことが、いかにもchatGPTが書きそうなブログになった。この客観的に見える視点はどこまで行っても中途半端で、自我の範疇に過ぎない。客体はAGIにお任せし、人間は主体的視点に価値を見出す。どこまでも主体的に。それを深く潜れば潜るほど、自己の色が濃くなりその形が鮮明になってくる。そして顕在化するとそこに価値を見出す他者と出会い、補完する。
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YORECORDAR
回遊芸術家。1986年生まれ兵庫県出身。日本画ワークショップ開催など...|LET IT HAPPEN_アンアスフラワー制作,関連グッズ販売。お金の価値を問い直す価値交換を経て直感に赴くまま呼ばれるまま世界各地に飛んでいきます。
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