即興舞台でじぶんを差し出す
久々のブログ更新となった。2026年6月18日。見返すと前回の更新から1年以上経過していた。
2025年8月、東京のアトリエを離れ、群馬県の妙義山の麓にアトリエを借り、「妙義アートハウス」というお教室をはじめ、軌道に乗り始めたこの頃。
この10ヶ月で非常に大きな意識変容があった。
常に視点の位置は変わり続けた。そして、このような話が通づるお相手は、限られることも知っている。
ただ、このブログに辿り着く方がこの町に現れ、驚くほどに深ぼって読んでいただき感動したので、もしかしたら、通じるかもしれない。と思い、書き残すことにする。
即興舞台
常に「今ここ」にフォーカスしていると、その場面その場面での、自分が相手によって引き出される感覚になってくる。
それは、即興舞台で、観客として見ていたのに、急に「ねえ、私のお姉さん!そう思わない?」と声をかけられ、舞台に上がらされ、登場人物の姉役を演じるはめになる。
現実には末っ子肌の年下女性が、姉のように私を慕ってくれ、私は思わず「姉御キャラ」を演じ出す。演じるといっても取り繕う意味の演じるということではない。内発的にそのキャラクターが表出する感覚だ。
人は、様々な一面をもっている。会社の自分、親としての自分、友人として、恋人としての自分…。それを小説家 平野啓一郎氏が「分人」という概念をつけてくれた。まずは、個人はひとつではないということ。
さらに量子力学を哲学的に説いたカルロ・ロヴェッリ氏は、
『「わたし」は、互いに連絡し合う膨大な現象が構成する総体でしかなく、それらは互いに依存し合っている。』
と説く。つまり、「わたし」とは、相手との間-あわい-の中に瞬間的に存在する。
その場、その場でキャラクターを引き出される。役割を全うするだけなのだ。それは、その場に構成する人々で微妙に異なる一面を出すことになる。
あとから、その一つ一つの場面を一人の人物としてストーリー仕立てにすることによって、「個人」としての「らしさ」という意味づけがなされる。
ただ、その切り口は誰の視点なのだろうか??
誰でもない。だから、私たちは「自分」のことが最もわからないし、相手を鏡にして「自分の反応を知る」というシステムの中で自己探求をする。
ひたすら解像度を上げていく。
この現象そのものが、UnUs FLOWerアンアスフラワーだったりする。以前から発信している通り、私はUnUsFLOWerの現象を自身の人生を通して追体験している。その現象の中で作品が生まれるという入れ子構造なのだ。
その場その場でどのような自分を差し出すことができるのか、それは創作でも同じだし、人付き合いでも同じことなのだ。
関連情報
LET IT HAPPENアンアスフラワー
頼黄田|YORECORDAR
回遊芸術家。1986年生まれ兵庫県出身。日本画ワークショップ開催など...|LET IT HAPPEN_アンアスフラワー制作,関連グッズ販売。お金の価値を問い直す価値交換を経て直感に赴くまま呼ばれるまま世界各地に飛んでいきます。
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